先取り貯蓄は今でこそ貯蓄の王道として広く用いられていますが、その実践者として具体的な方法論を記録したのは江戸時代生まれの実業家「本多 静六」翁が最初なのではないでしょうか。晩年の本多静六が遺した「私の財産告白」は、お金、倹約、投資、社会への奉仕について、激動の時代を生きた巨人の考えを学べる非常に面白い本です。本多静六は先取り貯蓄で少しずつ現金を貯め、「稲妻がきらめく時」を狙って、土地や株式に投資し、莫大な財産を築いたやばすぎる仙人です。
本多式「四分の一」貯金法
本多静六は給与、賞与等のもらったお金の四分の一をひたすら先取り貯蓄していきました。その考えの源は、「お金は人生において非常に大切なものである」という考えから来ています。また本多静六の家は家族や居候も多く、給与が上がるまでは子供に胡麻塩を食べさせながら対辺ひもじい思いもさせてしまったそうです。しかしその考えには、貧乏を克服するためには貧乏をはねのけるのではなく、進んで飛び込んでいく必要があると述べています。
人間の一生を見るに、だれでも早いか晩いか、1度は必ず貧乏を体験すべきものである。つまり物によって心を苦しまされるのである。これは私どもの長年の経験から生まれた結論である。<中略>どうせ一度は通る貧乏なら、出来るだけ1日でも早くこれを通り越すようにしたい。はしかと同じようなもので、早く子供の時に貧乏を通り越させてやった方がどれだけ本人のためになるかわからぬ。
本多静六著「私の財産告白」より
この貯金法は給与が低い時こそ苦しいが、給与が増えて来る頃には倹約生活にもなれているのでどんどんお金が貯まっていく良い方法と述べていますが、同時にお金をなくすのは「虚栄心」が源であり、自分の身分よりもワンランク下の生活を心がけるようにとくぎを刺しています。
元をたどれば二宮尊徳、はてはお釈迦様らしい
「本多式四分の一貯金法」は決して本多の発明ではない。すでに二五〇〇年も昔にお釈迦様が御経の中でも説いておいでだ。江戸時代でも松平楽翁公や二宮尊徳翁、その他幾多の先輩が奨励してきた貯金法(分度法)と一致している。ただその実行を偶然私が思いついたまでである。
「分度」とは二宮尊徳が提唱した報徳生活の三要素の1つであり、『経済的には、収入の枠内で一定の余剰を残しながら支出を図る生活、経営の確立。計画経済の基本です。この余剰が、明日の、来年のそして未来の生活、生産の発展と永安のための基礎資源となります』という思想らしいです。
「報徳博物館HP 二宮尊徳と報徳思想」より引用
http://www.hotoku.or.jp/sontoku/hotoku/
お釈迦様どんなお経を説いているかまでは出てきませんでしたが、いずれにしても「貧乏」それ自体が素晴らしいのではなく、お金を効率的にためて活用していく事で良い人生を送ることが素晴らしいという考えに基づいているかと思います。
ジャムぞうは今、何分の一先取りだ?
私は今、手取りが大体、26万円。そこから財形で3万、現金で3万、投資で2万、学資投資で1.5万、idecoで1.2万円、合計10.7万円。貯蓄率にして40%となっていますが、これは福利厚生で家賃が安いから出来る事であって、さらに家賃分5万が増えれば、貯蓄は5.7万円で22%となり、四分の一には届きません。胡麻塩どころか毎晩晩酌の倹約どころではない状態なので、全く修行が足りていません。
ただ一時時期よりはかなり質素な生活になりましたが、それもすでに慣れてしまっています。どこまで財政改革を出来るか道半ばですが、貯蓄率40%の内に貧乏に慣れて、来るべき「稲妻が煌めく時」に備えてコツコツと積み立てていきたいと思います。
以上です。
本多静六 「私の財産告白」 実業之日本社