ジャムぞうにはいついつまでに「1,400万円」貯める、という目標がありまして、それを踏まえての「年間200万円」という目標を設定したのでした。妻に「なんで1,400万円?」と聞かれた時に、「仮に400万の車を買っても残り1,000万あればとりあえず安心でしょ」と返しました。「・・まあそうね。」と返されましたが、その時自分でも「何で1,000万だと安心なんだ?」とふと思ってしまいました。色々なマネー関連の記事で「1,000万」という数字が躍る記事にひかれてしまうため、特に考えも無く決めてしまいましたが、何故なのでしょう。
(私には)特に深い意味はありませんでした
少し考えてみると、「キリがいいから」という結論になります。
お金は自分に必要な価値ある存在を手に入れるための「手段」ですが、1,000万、もしくは100万円というキリがいい数字によってモノの値段が決まっているかというとそうでもないようです。巷のマンションは3,860万円、BMW3シリーズは409万円、インプレッサ1.6Lは192.24万円とどうもキリがいいという観点で物の値段は決まっていないようです。物の値段を基準に考えると貯蓄の一つの目標とされる「1,000万」という数字にあまり意味はなく、単純にキリがいいからという結論が出てきてしまいます。
では何故1,000万がキリがいいかというと、日本が円を用い、10進法を採用しているからです。多くの国も経済においては10進法を採用しています。ではなぜ10進法なのかとうと諸説あるそうですが、我々人間が「10本指」だからという説があるそうです。それにのっとって考えると、仮に我々がタコのように「8本脚」だったら8進法を、妖怪人間なら6進法を、108本の足をもつムカデだったら108進法を採用していただけの事です。
という事で現状ではあまり意味はないのですが、それだとあまり備忘録としても意味をなしていませんのでもう少し自分の考えをまとめてます。
オリジナル単位を採用してみる
考えてみれば人それぞれ、生活水準が違うので、基準となる数字が人によって異なります。私は家族3人が、家賃や生活費を含めて1年間過ごせるお金を180万円と決め、生活防衛資金として確保しています。仮に私が働きもせずごろごろしながら生きていけるお金180万円を、
「1涅槃」としましょう。
180万円=1涅槃
仮に1,000万円以内で考えると払えるのは「5涅槃=900万円」です。ただ5年間ごろごろ生活しても意味があるのでしょうか。5年たっても娘は5歳でしかなく人生これからなので、まだまだお金も必要であり、あまり意味もありません。そのため定年して後は年金生活が訪れる35年後に焦点を当ててみます。35年間ごろごろする、ごろごろするというと語弊があるので、会社で働かず自分のしたいことをして35年間過ごす額という事、まさに「晴耕雨読」の生活をできる額の事を「35涅槃=1晴耕雨読=6,300万円」が一つの基準になります。
オリジナル単位だと混乱する
しかし人によっては「お前の1涅槃は私の2涅槃だ(90万円)」という事も当然出てきます。先に述べたように人によって価値基準や生活水準が違いますから。そう考えると「1,000万」という数字には、日本で円と10進法を採用しているので「キリが良く、大体の目安として使える数字」という意味が私の中でおちます。
人生の夢、目標はなんだ
こんなしょうも無いことを考えてみると、ふと恐ろしいことに気が付きます。「私は35年間働かずに涅槃しているだけでよいのか」という考えが浮かびます。今でこそ会社を通じて少なからず社会に貢献し感謝されることで自分が働く意義を考えられますが、働いて得た金を自分の真にやりたい事にどうやって活かすのでしょうか。
自分の夢はなんだと聞かれるとパッと出てきません。それこそ「晴耕雨読」という言葉が出て来てしまいましたが、少なくともそこにヒントがあるような気がします。年金の事も気にせず、自分と妻だけの力で生きていける状態になり、時が来たら死ぬ。出来れば自分で時間を選んで、自分の力で死ねればいいですね。ただ妻に聞いてみても「そんなわけあるか」という答えが返ってくるかもしれなので、少なくとも自分たちの目標を決めないと、この問答にはどうにも結論が出ないという結論になりました。とりあえず明日話のネタにしてみます。
ところで世の中の皆様は「何涅槃」貯めているのでしょうか。
以上